『すずめの戸締り』から気づいたメンタルマネジメント
2022年11月11日公開の『すずめの戸締り』を観てから数日経ちますが、
度々、映画のワンシーンが思い出されます。
映画のシーンを繰り返し思い出すなかで気づいたことがありました。
この映画では日本各地の”扉”を締めていくのだけど、
わたしの心の中にもこの”扉”があるなって。
今日は映画を観て、気づいたメンタルマネジメントについて書こうと思います。
・ネガティブな感情=”自分そのもの” ではない。
・”心”に扱われるのではなく、”心”は扱うものである。
・嫌な感情を鎮めたいときに映画のワンシーンをイメージングする。
少し前のこと。
我が子に対して無性に腹たつことがあって、
一瞬ではあったけれど、
心の扉が開いたように”怒り”がぶわーっと
映画のミミズのように出てきてしまったのね。
それで気づいたわけ。
これが”心の岩戸”かって。
それをきっかけに、過去の自分を振り返ってみたら「言わないで良いことまで話してしまった」とか「本当はそんなこと思っていなかったのに」とか過去の会話の失敗がいくつも思い出されました。
こういう失敗って人生の中では度々起こることだと思うのだけど、
これらの”会話の失敗”や”感情の失敗”に出くわしたとき、
悪い心をもつ自分=ひどい人間だと認識してしまったり、
自分で自分を責めては、自己不信に陥ってしまったり、
もしかしたら、繰り返し繰り返し心のなかで自分を傷め続けてしまうかもしれない。
そうなると、苦しいですよね。
自分で自分を苦しめる方向へと心をつかっていることになります。
勝手に出てくる”本能”のはたらき
よくない感情でいっぱいいっぱいになってしまったとき、
よくない考えが自分を苦しめているとき、
ついついそれらの”感情”や”考え”の持ち主である自分自身のことを
なんてひどい人間なんだろう、とその認識の仕方は間違えなのです。
ネガティブな感情や考え=”自分そのもの”では決してないのですね。
”悪い心”を持つ自分は自分のようで自分ではなく、
心に潜む”本能”のはたらきの影響を受けているに過ぎない、ということなのです。
”本能”は”欲”とも言い換えられますが、
動物的な心のことで、どんな人の心にも備わっています。
信じがたいことにどんな素敵に見える人にだって必ず備わっているのですよ。
”心”に自分自信を支配させるのではなく、心の”主”になる。
”心”に支配されてしまうか、
”心”を生きるための道具として使っていくのか。
心との付き合い方が見える形で表に出たとき、それは人間性としてあらわれます。
いわゆる”素敵な人”というのは心の扱い方が上手なのではないでしょうか。
”心”は扱われるものではなく、扱うもの。
実は冒頭に書いた子どもに無性に腹が立った話も
どうしても観たいドラマが、自分が望むタイミングで観れなかったという
今思えば、とてもちっちゃくて恥ずかしい話でしかないんだけど、
そのときは「今夜はそのドラマを観たい!」という欲に
心が支配されてしまったわけで、
その欲を満たせなかったという”心”が自分を支配してしまった結果、
怒りになったしまったというわけです。
心のことを何年も学んでいても、時々失敗してしまいます。苦笑
本能だけで生きていこうとしたら、野生動物のような生き方になってしまいます。
けれど、人には動物と違って”理性”が備わっています。
その理性で不要な本能はおさめなければいけないのです。
このあたりのお話に興味がある人はこちらを読んでね↓
”閉じ師”のように自分の感情をしまうトレーニング
『すずめの戸締り』に出てくる”閉じ師”は
心のはたらきに例えると”理性”になるのではないかと考えました。
理性を意識的にうまく使うことは、
そんなトレーニングのひとつとしておすすめしたいのが、
映画の中で閉じ師が扉を締めるシーンをイメージング法として使うこと。
自分自身が囚われている感情や出来事が
心の岩戸から噴出している様を思い浮かべて、
閉じ師である自分がパタンとその扉を閉めて鍵をかけるイメージです。
実際やってみると
心がとても落ち着いて、後味おだやか。気持ちが良かったです!
仕事中や寝る前など、心が落ち着かない時にイメージしてみると良いと思います。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました!